『人間形成障害と施設への期待』・・・久徳 重和
 

『絆 KIZUNA』愛知県児童福祉施設長会 発行


動物には生まれた時から一人前に行動できる種類と、生まれた後に一人前に育っていく種類とがある。前者の代表的なものはカメとかワニなどである。
たとえばウミガメの子供は砂浜で孵化した後は自力で海まで辿り渚き、その後は誰の助けも借りずに一人(一匹)でたくましく生活していく。
生まれた時から一人前である。
後者の生まれてから一人前に育っていく動物には多くの種類があるが、高級な哺乳類になるほど、適切に育てないと一人前になれない傾向が強くなる。
高名な動物行動学者のコンラート・ローレンツはその著書の中で「不適切に育てられた動物は、子育てが下手になり、ピント外れの行動を取りやすくなり、社会的抑制も喪失する」という旨を述ぺているし、H・F・ハーロウのサルにおける愛情剥脱実験の結果も養育歴が成長後の社会性に影響を与えることを示している。
霊長類よりも更に進化したヒトにおいては、その社会性の形成は「育てられ方」に強く支配され影響を受けている。
たとえば1920年にインドで発見されたカマラとアマラは、幼児期を狼によって育てられたため、推定6~8才のヒトの子供が完全に野性の狼の社会性を身に付けていたと報告されている(参考:A・ゲゼル著「狼にそだてられた子」)。
もう少し身近な例は中国残留孤児である。
残留孤児の方々は生物学的には日本人であっても、物心つく前から中国において中国人の養父母の下で中国風に育てられたため、成人後の社会性は日本人のものではなく中国人のものとなっている。
ヒトの社会性は養育状況によりここまで変化し得るのである。
以上の要旨をまとめると「ヒトの社会性、適応行動、またはたくましく賢く生きていく能力などと呼ばれるものは、養育環境により形成される」ということである。
ただしこれは、精神病、精神発育遅滞、自閉症などの問題を持たない場合に限られる。
筆者らは、いわゆる神経症型の不登校、高校・大学の留年~中退~成人後の就労不能、自宅への閉じこもりなどの社会適応行動障害のうち、「親・家庭一杜会などの文化的環境(=養育環境)の歪みに由来する適応行動の成熟障害」を「人問形成障害」と称している。
これらの問題は、単に学校へ行かないとか職に付かないという問題ではなく、そのまま経過すれば、将未に渡って、自分自身が生きていくこと(個体維持〕、夫婦・家庭・地域・社会などの集団に属すること(集団維持)、子供を健康に育て上げること(種族維持)などに関しても障害をきたす恐れがあると考えられる。
筆者らのクリニックは、喘息、アトピー性皮膚炎などのアレルギー性疾患の専門施設であるが、もう一つの専門領域である心療内科では、先に述べたような神経症型の不登校、就労不能、白宅への閉じこもりなどを、「人問形成障害」と認識する立場で診療を行っている。
対症患者の年齢は小学生から30代前半までが主である。
人問形成障害は「本人(患者)の父親・母親はどの様に育てられてきたか、どの様な大人に成長したか、結婚してからはどの様な家庭を築いてきたか、そしてその家庭に現れた本人をどの様に育ててきたか、その結果本人はどの様に育ったのか」という問題であると考えてもよい。
治療の基本は、家族力動・親子関係などの調整を基にした環境調整療法であり、患者および両親(必要であれば家族全員)に対してカウンセリングと行動療法的なアプローチにより、本人にとっては「作者」である両親の親としての能力を育て直し、本人の適応能力も育て直すという作業が主体になる。
家族力動・親子関係の調整を効率よく実施するため、外来診療と共に学習入院療法と呼ぶ入院療法も実施している。
学習入院の病棟スケジュールは、単に時間的な予定が定められているだけではなく、病棟全体の雰囲気、基本的な生活のあり方、スタッフの本人への接し方など、「どの様に扱えぱ本人の情緒が安定し意欲的になりうるか」を考えた心理・身体的な環境に設定されている。
患者はスタッフの生活指導を受け、病棟スケジュールに従って生活しているだけで、自然に好ましい生活習慣が体験学習でき、情緒面も行動面も正常化する。
その結果、不登校児の7割までは入院後4週問以内に登校を再会し、働けない青年でも2ヶ月以内には殆どの例が取り合えずは働き続けることか可能になる。
ただしこの正常化はあくまでも病棟という生活環境に反応して出現しているのであるから、この時点で退院して家庭での好ましくない家族力動・親子関係の中に戻れば、ほぼ必ず症状は再発する。
病棟での生沽習慣を家庭でも継続できるように家族力動・親子関係を調整し、受け入れ体制を整えることが親の課題となるが、ここから先が親の資質が問われる所でもある。
両親・家族が連帯感を発揮し、足並みを揃え、非常に手際よく受人れ体制を整える家庭も珍しくはない。本人の治療を通して、親の理解・洞察が進み、はたから見ても「人が変わった」といわれる程に親が成長する家庭もある。
本人の問題をきっかけとして、より素晴らしい親子関係に止揚してゆくのである。
これとは逆に、受入れ体制が整わないケースも決して珍しくはない。
両親が本人の問題を理解できず、自分たちのパターンを修正できないこともしぱしば起こり得る。
最悪の場合には、親が育てる眼り本人は立ち直れない、親が育てない方がよいという深刻な事態が出現するのである。
これらのケース、つまり、「心理面での養育不能状態」を合理的に解決するには、本人を家庭から切り離し、「適切な施設」に収容し、親代わりとなる指導者の下で成長させれぱよい。
筆者らは平成2年から7年にかけて「人問形成塾(ヒューマンアカデミー)」を運営した経験を持っている。
不登校、就労不能、閉じこもりなどで、自宅にいては立ち直れない状態の生徒~青年を半年から数年問入所させ、当クリニックの院長とケースワー力一が「親代わり」となって育て直すという試みである。
この試みはスタッフの負担も大きく、経営的にも全くの赤字ではあったが、確実な治療効果を示し、「心理面での養育不能状態」に対する効果的な対策の一つと考えている。
平成6年6月23日付の毎日新聞紙面においても紹介されているので興味のある方はご覧頂きたい。
現在のわが国では、少子化問題が声高に議論されているが、それ以上に前述の「心理面での養育不能状態」の親の問題が深刻であり、現在の日本の親の3分の1は子供を育てない方がよい親といっても過言ではないと筆者は考えている。
これらの親に育てられた子供たちは、冒頭に述べたローレンツの見解にあるような徴候を示すと考えられ、その兆しは既に現れてきている。
これらの子供たちを救済するシステムは医療関係には皆無であり、前述の「適切な施設」の充実が今後の児童福祉行政に期待されると考えている。
編集長の喜多先生より原稿の依頼を受け、深く考えもせずお引受けしてしまったが、テーマの大きさに内容をまとめきれず、やや説明不足と感じられる箇所もあるし、個人的な見解に終始してしまったかの感も否めない。
〆切までに書き直す余裕もないのでこのまま提出させて頂くが、御講評、御批判賜れば幸いである。