ぜんそくジャーナル

 

145号ジャーナル

「秘伝のオープン」喘息治療の極意           久徳重和       

 
ジャーナルも本号で100号になりました。このジャーナルのもともとの目的は、喘息治療上必要不可欠な知識をしっかり身につけていただくために、外来診療の場では時間の制約上説明しきれない事柄をじっくり読んで勉強していただくことにあります。
ですから、過去99号の中には喘息治療上必要な知識が、ほとんど100%といってよいほど網羅されており、某予備校のキャッチフレーズではありませんが、「秘伝のオープン」といってよいほど、内容は充実しています。
とは言うものの、知識だけで喘息が解決する訳ではなく、その知識をどう生かすかと言うことも大切です。
 
そこで今回は、喘息治療における基本的な心がまえというか、「極意」のようなものについてお話ししたいと思います。
喘息の総合根本療法の中には大きくわけて、2つのものが含まれています。1つは、目先の発作を薬でのりこえる対症療法であり、もう1つが、薬を使わなくても発作がおこらないようにするための根本療法です。その大部分は、毎日の暮しをどのようにするかという「生活療法」がしめています。
対症療法が総合根本療法の中にしめる割合はせいぜい全体の2~3割程度で、残り7~8割が根本療法であると考えて下さい。
 
対症療法とは、読んで字の如く、症状(発作)に対しての治療法ですから、対症療法が必要になるときは、必ず「発作がおきている」もしくは「おこると予測される」ことが大前提になります。そして、「薬を使って、発作をのりこえる」ことであり、決して「薬で発作をおさえきる」ということではありません。
 
きびしいことを言ってしまえば、いくら薬を使っても、発作はおきるときにはおきてしまうのです。薬だけで安全に完全におさえきれるのならば、喘息で入院する人はいなくなるか、いたとしてもごく短期間の入院ですむはずです。しかし現実にはそうではなく、不幸にも命を落とす人もみえるという事実は、対症療法には限界があるということであり、ごく軽症の患者さんで、喘散さえ飲んでいれば、まったく発作がないなどという人は、ごく幸せな一部の方たちということなのです。
 
このしごくあたりまえの事実が理解できないと、目先の発作に翻弄されてしまって、「先生、薬をのんでいるのにまた調子が悪くなってしまった。排たんはしているのにどうしてだろう。」というおそまつな結果になってしまう事が多いのです。
こういう言葉を口にされる患者さんは、必ずといってよいほど、根本療法がお留守になってしまっています。
 
根本療法には「五原則」があります。喘息のしくみを理解しているか、発作のおこり方から自分自身の発作の原因が分析できているか、すべての原因に対しての対策が立っていて、実行しているか等々ですが、これらを忘れてしまっていては、絶対に喘息は治りません。
 
発作がおきたときが、根本療法か身についているか否かを見るためのチャンスです。「こうこうこういうパターンで発作がおきたからには、原因は、心、体、アレルギー、感染のうちのこれとこれが関係しているはずだ。だから、今後こういう方針で生活していけば、今回のような発作は起こらなくなっていくはずだ。この方針でよいのか、次の診療のときに先生に尋ねてみよう……」
発作がおきたときに、上手に発作をのりこえながら、このように考えられる人は、かなり早く根治に向かえる人です。また、子供の発作に対して、このように対応できる親も、かなり早くわが子の喘息を治してしまえる親だといってよいでしょう。
 
そのためには、もちろん正確な知識と対応法が身についていなければなりませんが、外来での説明、指導だけでは限界がありますので、ジャーナルのバックナンバー、最短コースの本、診察の内容を録音する等々を利用して、効率良く身につけるようにしましょう。
以上、お話ししましたことをキャッチフレーズ風にまとめると次のようになります。
 
「発作はおきるときにはおきるもの。発作がおきたら、あわてずさわがず、にっこり笑って上手にのりこえ、原因分析をしっかり行い、今後の対策をしっかり立てて、わからないところは勉強第一。そして実行。」
これが、久徳クリニックで行っている、総合根本療法の極意なのです。(このページは100号の内容を再度掲載しました。