ぜんそくジャーナル

 

149号ジャーナル

【手記】完治を目指して        大阪府 Oさん 

  
前略 娘が久徳クリニックに入院させて頂いてから丁度1年になります。入院前と今とでは、見違える位元気になりました。
重症喘息と言われていた娘と一緒に入院した日々は、一生忘れることが出来ません。グランドを1周歩くのさえ発作で時間がかかった娘が、私の目の前で、4~5日するうちに走れるようになり、発作も出なくなり、身体も健康になっていくのが、本当に目に見えるように変わっていくのにびっくりしました。
入院する前の受診の日々や入院直後は、久徳先生や辻河先生、看護婦さんに、私が叱られてばかりで、気持ちの上で反発ばかりでしたが、娘が実際に目に見えて健康になっていくのをみて、これは私が間違っていたと気付きました。
入院中は、今まで発作が心配で家では出来なかったことをしてきなさいと、外出させて頂き、東山動物園、名古屋城他近くの名所を二人で歩き、今まで特に行きたかったアイススケートでは、娘の「こんな楽しいことははじめて」と無心に遊ぶのをみて反省させられました。
 
娘が入院するまで元気だった私の父が急に倒れ入院したと電話があり、それからは娘をクリニックで預かってもらい、父の看病から看取り、葬儀と目まぐるしい日々でしたが、父の看病の日々、娘が元気になっていく様子を話すと、うれしそうに聞いていた父が忘れられません。父の看取りを充分にできたのも、久徳クリニックのおかげです。変に慰めの言葉をかけて下さらずに、娘の治るも治らないのも私次第だと叱られ、かえって私には暖かく感じ、さすがプロだなと本当にうれしく感じ入りました。
クリニックに通う前、1ヵ月にに1回打っていたケナコルト(ステロイド剤)からも離脱させて頂き、元気に退院し、初めて学校に行くとき、ポロポロ涙をこぼし「うれしくてたまらない」と娘が申しました。
 
あれから1年。それまで学校を発作で休んでばかりいた娘はクリニックに通院する以外は風邪で1日休んだだけで、元気に通学しています。まだ発作は出ますが軽く、自分で処理できるようになっています。完治するまで必ず頑張ろうと、その日の近いことを願っております。
機会のあるごとに、久徳クリニックの素晴らしさを吹聴しておりますが、喘息の軽い人は、遠い名古屋まで行かなくてもと対症療法ですませ、私共のように重症になってはじめて久徳先生の恩恵を受けられるという感じが致します。またもう一つ、母原病の久徳先生というだけで、母親を攻撃する先生のイメージが強く、本来の先生の優しさが分からず敬遠される方も多いと思います。それがとても残念です。
 
久徳先生はじめスタッフの皆様は厳しいけれど厳しいだけではありません。本当の優しさを知る前に、折角久徳クリニックに出会いながら途中で脱落(ドロップ・アウト)していかれる人達のいることも残念でなりません。一人でも多くの方が、総合根本療法で完治されますことを願っております。
私共にとって、久徳クリニックに出会えたことは神の導きのような気さえしております。今後共、どうぞよろしくご指導下さいませ。

かしこ。