ぜんそくジャーナル

 

119号ジャーナル

手記 「ひとつの山を乗り越えて」 名古屋市Tさん

 

はじめに

久徳知裕先生から「合格」と言われたのは昨年の5月28日でした。それは「感染性喘息」との長くてつらい戦いに対して努力した評価の言葉でした。
知裕先生から「手記を書いてみないか」とすすめられました。私が喘息とどう戦ってきたか、その体験が、今なお喘息に苦しんでみえる方の参考になればと思い筆をとりました。
 

喘息は医師が治すと信じてた

喘息の症状が出たのは、62年の春でした。朝、起きがけに軽い咳が3、4個出る日が何日か続き、なんとなく変だなーと感じておりました。
友人から「名大病院は、数千人の喘息患者のカルテがあり、喘息治療に実績のある病院だよ」と聞いていましたので、この病院をえらびました。
診療の結果、「成人喘息ですね」と言われました。
そのときにもらった薬が「プレドニン」という名のステロイド剤でした。この薬を服用したところ咳も止まり、痰も出なくなりました。
〈さすがは大学病院だ〉とその時は思いました。

その後は「テオドール」や、「スピロベント」、精神安定の「リーゼ」など、私が訴えた症状に合わせて薬を処方してくれました。
「苦しくなったらこれを使いなさい」と言って、携帯用気管支拡張剤の「ベロテック」をくれました。軽い発作が出るたびに「ベロテック」を使い発作を止めていました。
喘息は、大学病院の先生に診てもらっているのだから、いつかは治ると信じていました。

63年の冬のことでした。めずらしく雪が降り寒い朝でした。通勤の途中、地下鉄を降りて、外に出た時、小発作がおきました。「ベロテック」を吸入しましたが、そのときに限って「ベロテック」が空でした。「ベロテックがない」という心理的不安がら、パニックに陥り、中発作へと進み、〈このままでは呼吸困難で死んでしまうのではないか〉という不安におそわれ道端にしゃがみこんでしまいました。

30分ほどで、呼吸が楽になったので、自宅へ電話をして、家内に大学病院へ連れて行ってもらいました。病院に着いた時、発作は治まってしました。
今になってみれば、あの位の発作は病院にかかるほどのものではありませんでした。なぜなら、大学病院の先生は全治のためにはどのような治療を行い、患者自身の日常生活はどのようなことに留意すればよいのか、ましてや排痰法など教えてくれませんでした。
しかし、私は「喘息は治る」と信じ、大学病院へ通院し、3時間待って3分診療をうけておりました。
 

一般の医師は喘息を治せない

一年間通院しましたが症状は一向に改善されないし、待ち時間も長く、治療も薬治療法だけでしたので、先生に「会社の診療所で治療したい」と申し出ました。先生は「よろしいですよ」と言われ診断書を書いてくれました。
家内の友人に、呼吸器内科の医師を紹介してもらい転院しましたが、この先生も大学病院の先生と同じように、気管支拡張剤とステロイド剤、携帯用吸入器の「サルタノール」を出してくれました。

二年ほど通院しましたが、症状は良くなるどころか、悪くなる一方でした。
発作の頻度もだんだん多くなり、夜には2時間おきに発作がおき、「サルタノール」で発作を止め、また発作がおきると、「サルタノール」吸入で発作を止めるという日々が続き、夜も寝れないような状態になりました。ステロイド剤はもらっていましたが、副作用がこわいと思い込んでいるため、「サルタノール」吸入で発作が治まらないときだけやむをえずステロイド剤を服用していました。
治療は、いつもと同じように聴診器による診察と 血圧測定だけでした。喘息は一向によくならないので先生に問いました。

「先生はいつも血圧を測られますけど、私の血圧は上が130、下が70で血圧異常がないことは知っています。高血圧の治療のために来ているのではありません。喘息を治すために来ているんです。先生は、私の喘息を治せるのですか」と。
先生は「今の医学では喘息は高血圧と同じように薬でコントロールしていくしか方法がありません。発作で苦しいときは白い錠剤(ステロイド剤)を飲みなさい」と言われ、このとき初めて「喘息は治らないものである」ということを知り愕然としました。意気消沈して家へ帰る途中、本屋へ寄ったのが私の運命の岐れ路でした。
 

久徳クリニックとの出会い

本屋で喘息の本はないかと見回していたら「自分で治せるぜんそく根治療法」著者久徳重盛(先生)という本が目に入りました。以前にも喘息に関する本は何冊か読みましたが、どの本も喘息は「治せる」と書いてありませんでした。
だが、この本は違っていました。「はしがき」に「結論から先に申し上げますと、気管支ぜんそくの臨床は、今までの混迷の時代から、まったく「新しい時代」に入ったといえます。……………」しかも、最後の頁に「なお、本書の内容についての問い合わせは久徳クリニックへ連絡してください」と書いてあり、しかもその病院が名古屋にあるのではありませんか。さっそくその本を買い求め夜も寝ずに読み、久徳クリニックへかけつけたのが、一昨年の9月10日でした。
初めて診ていただいたのが、知裕先生でした。問診で「はじめはどんな症状だったの」との問いに対し、「昔のことだから思い出せません」と言いましたら、先生は「原因がわからなければ喘息は治せない」と言われました。
喘息は「医師が治すもの」と思っていましたので、このような言葉が出てしまいました。

先生は、総合根本療法を図解した資料で、喘息についてていねいに説明してくださいました。だが、私には理解するだけの十分な知識がなかったためよくわかりませんでした。
しかし、1つだけ理解できたことがありました。それは、「発作がおきたときどうすればよいか」ということです。
発作がおきたら、まず「あわてない」次に「呼吸をととのえる」など………。そして「軽い発作は自宅でのりこえるようにして下さい」と言われました。
 

感染喘息との戦い

初診時の肺活量は、私の年令、身長、体重からの標準値は3750ミリリットルなければならないのに、わずか2500ミリリットルしかありませんでした。
肺活量が少なくなったのは、痰を出すことを知らなかったために、気管支の中に痰がつまってしまったためです。
つまっている古い痰は、点滴と押し出し排痰法で出しました。痰は、黒くて固い痰がコップ1杯ほど出てきました。
古い痰を出した後は、動いても苦しくないので、痰は全部出し切り、喘息は寛解したと思い、会社へ出勤し趣味でもある海釣りにも行きました。
しかし、ここで大失敗をしてしまいました。それは、軽い発作を見落としてしまい、感染喘息を再燃させてしまったことです。
私の喘息は「軽症難治性喘息」が主病で、痰を出さなかったために、痰に細菌やウイルスが感染して「感染性喘息」になったのです。
苦しくはないがハーと息を吐いて、ゼーというのを「軽症難治性喘息」といい、症状は軽いが、根治が難しいのがこの喘息の特徴です。
再感染したのは、昨年の11月11日でした。夜中に発作がおき、横になると一層苦しいので机に伏したままその夜を越しました。
翌日から、再感染治療のために今年の5月までの7ヶ月連用点滴を受けました。出し切ったと思っていた古い痰が、またコップ1杯ほど出てきました。冒頭で述べたように知裕先生から「合格」と言われるまでに、初診から9ヶ月間かかって古いミイラの痰を出し切りました。
それからは、ハーゼーによって痰の有無を確かめ、ゼーがあれば、すぐに排痰するようにしました。
 

鍛錬で自律神経失調を治す

私の喘息は痰が多く、自律神経の失調が体のバランスを崩していることがわかりました。
体のバランスを改善するのは「たんれん」です。朝は「水かぶり」を行い、排痰したのち、朝、晩5キロのジョギングを行いました。ジョギングは今も続けており、11月23日の「勤労感謝の日」に「名古屋シティマラソン」の10キロコースにチャレンジし完走しました。ゴール寸前に「昨年の今ごろは連用点滴で苦しんでいたなー」の思いが脳裏をかすめ涙がでそうになりました。
 

心因改善は自分らしく生きる

私は、会社員ですが、仕事は多く、しかも、急ぎで時間におわれるため「大変だ」「大変だ」という気持ちが「イライラ」になり、それが発作の原因になっていました。上司に喘息の状況を説明し、仕事を減らしてもらいました。また「気がつきすぎること」「几帳面なこと」が私の気質ですが、仕事の面ではその気質がプラス要因でしたが、喘息では逆にマイナス要因になっていることを知裕先生から指摘されました。対策は、「気がついても知らぬ顔して」それを「気にしない」ように心がけました。仕事は減ったものの、まだまだ多いのですが、「なぜ急ぐのか」と自問することによって「イライラ」をなくし、心に負担をかけないように心がけました。
私の喘息によって、夫婦の間にもヒビが入りかけ、離婚の危機にも直面しました。

ある日、動物好きの家内が子猫をもらい、この子猫に「トマト」という名前をつけました。このトマトがおもわぬ効果を生みました。それまでは夫婦の間に会話がなく、一つ屋根の下に2人が住んでいるだけの状態でしたがトマトが夫婦の間に入るようになってから、トマトの行動が発端になって夫婦の間に会話が生まれ、私の喘息に対しても理解を示すようになり、この危機を乗り越えることができました。
 

喘息根治には勉強が不可欠

最近、「インフォームド・コンセント」という言葉をきくようになりました。これは、「医師が患者に十分な情報を提供して、患者の同意を得ながら病気を治していく」ということで、久徳クリニックでは、以前からテープ録音によってこのシステムをとり入れており、テープ録音は、喘息治療に大きな効果がありました。私は、このテープ録音をノートに書き写し、何度も読みかえすことによって先生の言わんとすることの理解に努めました。「ぜんそく征服ジャーナル」も喘息の勉強に役立ちました。ぜんそく征服ジャーナルを105号まで買い揃え、何度も読みかえしました。例えば、第5号の「気管支喘息クイズ」で100点をとれないようでは、喘息はわかったとはいえません。

平成2年7月22日付の朝日新聞の日曜版に「成人ぜんそく、子供より症状が重い」という見出しで「年間6000人もの人が窒息死している」ことの記事を読んで不安になり、発作をおこした経験があります。
今なら、このような記事の掲載は好ましくないと批判できるだけの知識はもてるようになりました。

喘息の仕組みを理解し、発作がおきたときの原因は何か、その原因を治療するにはどうすればよいか、など喘息についての勉強とジョギング、水かぶりなどの鍛錬によって体を回復させ、気持ちも「仕事第一」から「健康第一」へと切り替えたことによって、心に余裕がでてくるようになりました。
 

喘息を治すためのポイント

合格といわれた5月26日以降は、3回小発作をおこした位で、8月16日以降、発作をおこしていません。現代の喘息の状態は、知裕先生いわく「あなたはAコースを歩いていますよ」と言われました。
これまでの体験から、「喘息根治のポイント」をまとめてみました。
 

1、 喘息専門医の診察を受けること。

一般の内科医では喘息は治せません。喘息を治せるか内科の先生にたずねてみて下さい。「先生は私の喘息を治せるんですか」と。人間形成医学をマスターした喘息専門医だけです。
 

2、 喘息は自分で治すもの。

先生が治してくれるのは発作のときの対症療法位なもの。しかし、喘息専門医は喘息を根治させる方法を知っています。その方法を教えてもらってください。喘息は先生が治すものでもなく、薬で治るものでもありません。喘息は自分で治すものです。
 

3、 喘息について勉強すること

喘息専門医は、喘息の治し方は教えてくれますが、理解する知識がなければ、正しい治療方法を実行することはできません。喘息の仕組み、発作がおきたときの原因分析、原因の治療方法、薬の使い方、心の持ち方、鍛錬の要領など、「喘息征服ジャーナル」や「テープ録音」で学習してください。
 

4、 鍛錬は毎日行うこと。

水かぶり、ジョギングは毎日行ってください。冬の薄着も鍛錬です。鍛錬は、一日でもやめると、次の日はやめる理由をつけたくなるものです。ムリをしなくてもよいから毎日続けることが大切です。
 

5、 定期的に通院すること。

発作がおきたときだけ病院にかけこんでいては、一生、喘息は治せません。毎週一回定期的に通院してください。喘息は軽いうちに徹底的に治すことが最も重要です。
 

みなさんに感謝します

最後になりましたが、久徳クリニックにめぐり合えなかったら、あるいは重積発作で窒息死していたかもしれません。私の全治体験を披露できるのも久徳院長先生をはじめ、喘息根治方法から人生観まで指導して下さった知裕先生、重和先生、森先生、看護婦さん、また、点滴をうけながら「ああすれば排痰はうまくいくのか」を身をもって教えてくれた久徳クリニックの患者さん、あるいは「喘息の勉強をしないとあのようになるのか」と反面教師になって教えてくれた人、みんな、みんなに感謝しています。