ぜんそくジャーナル
132号ジャーナル
【手記】「私の入院体験記」 愛知県Iさん27歳
私の病歴は、仕事について3年目辺りから鼻水、クシャミ、ムズムズ、すっきりしないが生活は普通に出来ていました。5年目、更に悪くなり、仕事中呼吸がしにくくなり、30分~1時間位休んで治まるという事が、度々あり地元の市民病院で、気管支炎と診断され、それ以後タバコをやめて水泳を始めました。2年位は調子がよくなりました。
2年後25歳(平成3年4月)仕事上、肩書きがついた途端に、症状悪化し、発作が顕著に出る様になり、気管支喘息と診断され通院しながら仕事を続け、くすりも点滴、気管支拡張剤、抗ヒスタミン等、服用するありさまでした。中でも、点滴が一番よく効きました。それがやがて点滴もあまり効かなくなり、点滴中に同時にステロイドもうつ様になり、一時的に治まるだけで本来ある人間の自然治癒力がどんどん低下し、仕事、趣味、恋愛、生活全てに対して不安を抱くようになり、夜もぐっすり眠れる事が少なくなり、平成4年7月25より大発作にて入院。常時酸素吸入点滴朝夕のステロイド、対症療法にて約1ヶ月で退院し、体力を取りもどす為に8月一杯仕事を休ませて頂き、自宅療養する。その間にいろいろな事を考えました。悩まされました職業上ほこりっぽい物を扱っているので、それでアレルギー反応をしているのではないか。いっそ転職してしまおうか、以前掛かっていた病院の先生がその様な事を言われたから、余計に悩まされました。今から仕事を変えると、また1年生からスタートかと(後ろむき)思うといざ決断が出来ず、収入面において、天びんにかけたと言う事です。
ぼちぼち結婚と考えていた所、このような事になり、何か歯車が狂って、精神的とても不安定な状態になったので、職場を現場から営業にして貰う様にしました。
しかし同じく平成4年11月頃風邪(感染により)1週間休職、その後暮れまで思わしくなく通院点滴の繰り返しで、寝込んだまま、平成5年を迎えてしまいました。
そんな折私の友人、知人より名古屋のキュウトクさんと言う喘息専門の病院があるぞと教えてもらい、平成5年1月5日我が恋人の運転にて「久徳クリニック」にて診察して頂き、(重和先生)今迄の病歴を事細かに聞かれるので思い出しながら経過を話したところ、「軽症難治喘息」と診断されました。その時にジャーナルの70号、96号、121号を頂き、1年で平均80%治るよと言われ正直ホッとしました。その日から連用で4日間、点滴、吸入(ハッキリ言って吸入して排痰という光景には、驚きました。)皆さんが、何の臆面もなく吸入→排痰されている、頑張ってらっしゃるなーと思い自分も頑張ろうと勇気が出て来ました。それ以後しばらく良かったが1月22日以降思わしくなく、26日知裕先生診察にて、27日より入院の予約を申し込み家路についたが、家で寝込んだままとても不安な状態になり、3日間位まともに寝ていなかった為、結局その日の夜11時頃、両親に連れられ緊急入院「対症療法」後の「学習入院」に至る。
1月26日から4日間位、常時点滴、酸素吸入が続いたその期間は、睡眠もあまり取れず、食事も、あまり喉を通らない状況でした。
対症療法による入院の為、同室の人たちが朝、昼、夜、決まった時間に病室を出て行き私の弁当を持って帰ってくるという、とても皆さんにお世話になりました。(入院患者さん達)、そして何よりも驚いたのは、他の人たちは、なぜあんなに明るいのだろうかという事です。とても活き活きして不思議でなりませんでした。そのお陰で、私自身も元気が出て来て、とても勇気付けられました。その間、重和先生による押し出し排たん法を、教えて頂き、おぼつかないながらも、排痰をする日々が続き、黄色や茶色、切り干し大根状の痰が大きな痰の盆に一杯出来て、自分もびっくりするほどでした。それで、いろんな痰が出る度に、先生、看護婦さん達が、来ては、教えて下さるものでした。
その後酸素、常時点滴が取れ、自分の参加できる鍛錬を始めた所、先生に学習入院に切り替えてはと言われたので学習入院に変更。諸先生、看護婦さん達から今迄とは、違って厳しいですよと言われ冗談なのか本気なのか最初は、分かりませんでしたがその後その意味がわかりました。
他の学習入院されている方々が他府県からみえて、とても熱心に、真剣に、喘息を治そうと取り組んでいる事に驚き、自分の甘えに気づき、それに刺激されよし頑張って根治するぞと気力が湧いて来ました。
早朝からの鍛錬に始まり、各自クラブ活動午前、午後、夕方、鍛錬及び学習、特に水かぶりは、こたえました。でも一度やれてしまえば大丈夫。何事もやろうと思えばたいてい出来るものだと思います。私は、小学生、中学、高校(途中迄)剣道部に在籍し、高校時代には、朝刊の新聞配達をしていたこと思い浮かべながら楽しく鍛錬が出来ました。
月曜日、水曜日、金曜日、夜の7時頃から始まる院長先生、知裕先生、重和先生による廻診。カセットテープレコーダー持参にて病状の経過を見て頂き、自分にとっての適切な指導をして頂く、その後、点滴も打たなくなり順調に回復して行く入院中、重和先生による「気管支喘息の基礎知識」のビデオは絶対に録音して、会報25号迄の一冊の本と、文集43人の勝利の記録はだまされたと思って買って下さい。自分にとってこれは、健康を得る為の財産だと知ったのは後の事です。
なぜなら試験外泊→退院→通院時に、何気なくテープレコーダーを取り、それを後で聴いて見ると、先生の言われたことに対して、無意識の反応が良くわかります。理性では、わかるが、行動が、感情によって動いているという事に気づいたからです。
私の経験からすると通院していてもあまり良くならない為、対症療法入院→学習入院という経過を辿った訳ですが、院長先生、知裕先生、重和先生、森先生が、私自身にとってとても適切な、指導をして下さり、総合根本療法に自分で乗れたなと実感しています。
私の様な要領の悪い人間は学習入院をしていなかったらこんな事も書けず喘息に苦しみ続けていた事でしょう。
今後学習入院される方は、学生生活で言う部活動、クラブ活動だと思って取り組まれると良いかと思います。練習は面白くないが試合に勝つと嬉しい(幸福に生きる為の窓口だと思われます。)
日本の名医。美人看護婦さん達に囲まれ、時に厳しく、時に優しく、励まされ、また患者さん、私の勤務先の社長をはじめ、いろんな人から活かされている事に感謝するばかりです。慌てずに前向きに頑張り続けたいと思います。
最後にこのクリニックに入院して戸惑う事も多くありましたが、総合根治療法の切り口をつかむキッカケになったのは確かだと思います。これから入院される方の参考になれば、幸いに存じます。