ぜんそくジャーナル

 

133号ジャーナル

日本のぜんそく研究の流れ(1) (世界の古代から現代まで) 

      

■ぜんそくの研究の歴史

ぜんそくについての研究の歴史を考える場合、まずどうしても外国における研究の歴史から考えることが必要です。
ぜんそくについて、その存在が記録されているのは約2000年前のことです。医学の祖といわれるヒポクラテスは「ぜんそくになったら、怒を鎮めよ」と言っています。2000年前というとずいぶん古いようですが、実はこの頃、古代ローマ、古代エジプト文明からすでに3000年もたっており、われわれが想像する以上に医学は進んでいたようです。
 
ヒポクラテスは、その時代の医学者の考え方をまとめた総合的な医学の本を書いた人で、それで医学の祖といわれることになったようです。
例えば赤ちゃんの先天性股関節脱臼の場合、私が医学部の学生だった頃、股を開いた位置で固定する治療法が行なわれていましたが、この方法はすでに2000年前のヒポクラテスの医学書にかかれています。
この頃はキリストだとか、釈迦の現われた時代で、心身医学も、ひょっとすると、いまより進んでいたかも知れません。
 
プラトーという有名な哲学者もこの時代の人ですが、彼は当時の医者に「医者が患者の心の問題も考慮に入れて患者を治療すれば、もっと患者を治せる」という内容の話をしています。
いまも昔も、医者が患者の心を軽視しがちな傾向は余り変わっていないようです。
その時代、医者が心の問題を解決して心身症を治すことは、それほど珍しいことではなかったようです。医者が治せば、ただ治したというだけのことです。
私の推測にすぎませんが、キリストもこのことを知っていて、心身症で歩けなくなってしまったりした信者を治したりしたと思われます。宗教の世界ではこんな時「奇跡がおこった」ということになるのでしょう。医学の世界では奇跡と言わないだけのことです。
 
とにかく、ぜんそく研究の歴史は2000年前、心の問題からはじまりました。
それからあと、学問、科学には長い暗黒時代がありました。
近代科学が芽生えはじめたのはまだ200年足らずのことです。
 

■近代医学の時代になって

近代医学の時代になってからも、ぜんそくは分からない病気、治らない病気と考える歴史が延々と続いてきました。神経の病気と考える人、自立神経の病気と考える人、ホルモンの病気と考える人、気道の過敏性の病気と考える人など、実にいろいろな考え方が出てきました。
アレルギーが学問的に分かってきたのは1900年のはじめです。もともと抗原と抗体が反応し健康を守る「免疫反応」なのにかえって人体に有害な作用をする現象がある事か分かり、1906年、ピルケーという人が、この現象をアレルギーと名付けました。
 
この頃からアレルギーの研究はすすみ、次々にいろいろなことが分かって来ましたが、1920年頃になって、ぜんそく、花粉症などアレルギー性の病気なのに、抗原抗体反応、つまりアレルギーだけでは理解できない変な現象が関係していることが分かってきました。
このアレルギーだけでは理解できない「変なアレルギー性疾患」を「アトピー」とよぶことにしたのはコカという人です。
したがって、アレルギーということとアトピーということは、同じではないのです。しかしコカがアトピーという現象を見付けて約70年、アレルギー現象が分かって約90年たってしまい、現在では、その区別もはっきり知らない医者が多くなってきてしまいました。
 
医学が余りにもどんどん進歩するので、古い時代のことは正確さが失われてしまうのです。
こんな近代医学の流れの中で日本のぜんそくの研究はすすめられてきたのです。
その研究の流れを知ることもなにかの参考になると思いますので、古い明治の頃から、アレルギーの研究がはじまるより前の時代、そしてそのあとの流れについて、次号から説明します。