ぜんそくジャーナル

 

133号ジャーナル

いろいろ思う事⑧   久徳重和 

                    

■小さな原因で大きな発作

前回、トラブルがあることとそのトラブルについて悩むこととは全く別問題なのであると言うお話をしました。
いくらトラブルがあったとしても、それが楽しめてしまえば発作を引き起こすことはないのですが、発想が後向
きになっている時は用心が必要です。
 
「憂うつなトラブルは世の常だ」、ここまでは誰でも頭では分かっているのです。それにもかかわらず、「頭ではわかっているんだけれども…でもどうしてもムカ!とくるんですよね…。」なんてことになってしまうからまずいのです。
どうも心理的な発作というのは、「憂うつな世の常のトラブル」に振り回されて、翻弄されて、心理的に行き詰まってしまう時に、体の方もおつきあいしてくれて「息が詰まって」しまう物のようです。
この場合、この「憂うつな世の常のトラブル」は、強烈な物である必要はないようです。水面を乱すさぎ波のように些細でありふれた物でも、しっかりと発作を引き起こしてくれるようです。
 
患者さんのほうに、「小さなトラブルで大きく悩む持ち味(心理的易適応障害性)」が備わっていますから「小きな原因で大きな発作」と言うことが起こりうるのです。(この事実は逆に、小さな心理的な変化だけで、劇的に症状が改善することもあることを示しています。)
心理的な問題以外にも、この「小さな原因で大きな発作」と言うパターンは認められます。
春と秋に崩れるとか、雨、台風の前、冷気吸入、運動などで、発作が引き起こされることがありますが、これにしたって「小さな原因」であることに変わりありません。
 
喘息の患者さんにとっては、春や秋、雨、台風などが、発作の引き金としての「憂うつなトラブル」になりうるのですが、喘息でない人達にとっては「よくあることさ」の一言ですまされてしまう、日常的なささいなトラブルに過ぎません。
ホコリのアレルギーで、ホコリを吸うと発作になる患者さんもいます。ソバを食べて苦しくなる人もいます。これらにしたって「小さな原因」です。
健康な人の「常識」で考えれば、たかがホコリやソバですから、それで呼吸が苦しくなってしまってはたまりません。しかし、アレルギーで発作の起こる喘息の患者さんにとっては、たかがホコリやソバが、生命にかかわるような影響力を持ってしまうこともあるのです。
 

■ 「自」と「他」の関係の病気?

喘息についてこのような発想で考えていると、ぼんやりといろいろな物が見えてきます。
喘息の患者さんは心理的にも身体的にも、身のまわりの環境の変化に過敏です。気候の変化で身体のバランスが乱れて発作になって、眠りにつくだけで発作が起きて、週末にも発作が起こります。さらには、ペンキのにおい、冷たい空気でも発作が起こります。ここまで来るともう過敏と言うよりも、余裕がなさすぎると言った方がよいのかもしれません。生命維持のために欠かせない呼吸機能が、まわりに振り回されてバタバタオロオロしているかのような印象すら感じられます。
 
もう一つ印象的なのは、鼻炎も喘息もアトピーも、すべて、「身体の表面で症状が出る病気」と言うことです。一生命体としての患者さんの「心身」がそれを取り巻く周囲の環境と接するところで症状があらわれているのです。
こう言ったことを徒然なるままに考えていると、何となく喘息と言う病気の「意味」が分かってくるような気がします。
それは、「自己」と「他者」の関わり方の問題のようです。