「悪魔の愛情」が国を滅ぼす
「今わが国では、人間の基礎や大人になるための
基礎ができないまま成長する子供たちが増え、
成人して社会に出ていっても
転々と職を変わって結局働けない、働くことはできても
結婚できない、結婚はできるけれども子育てができない、など未熟なな大人が多くなった。
この〈人間崩壊〉という悪循環が今後も続くとなれば、
早晩、日本民族は自滅するしかない」
20年以上も前から人間性が崩壊する子供たちの実態に
警告を発し続けてきた久徳重盛氏が訴える「今大人たちがなすべきこと」。
■豊かさがもたらした母親の育児崩壊
子供たちのいじめ、登校拒否、非行などが問題になって、親の子育ての難しさがいわれていますが、実は経済が成長すると人間が壊れるという大きな流れがありまして、いま日本の育児が崩壊しているのは、親だけの問題ではなくて、日本という国が構造的に育児の難しい国になってしまったということなんです。
日本が構造的に育児の難しい国になってきたのは、高度成長以来のこの30年くらいのことなんですが、なぜそうなったのかということが、人間形成医学という新しい医学によってだいたいわかってきました。
結論からいうと、それは経済の成長に伴う人間崩壊ともいえるし、育児の崩壊ともいえるわけです。
経済が成長すると、どうして親の子育てが下手になるかというと、生物としての健全な育児本能が壊れてくるからです。そのために、子供を上手に育てることができない。子供の側からいえば、赤ん坊のときから歪んだ育てられ方をする。その結果として、子供たちは健全な人間形成ができないまま成長して、登校拒否とか閉じこもりとか、成人しても働けないといった行動障害を起こすようになるわけです。
私はそれを「文明国型の育児不能による人間形成障害」と呼んでいるんですが、そもそも私がそういうことに気がついたのは昭和35年ごろからです。高度成長が始まったのが昭和30年で、高度成長が始まるのと同時に、ポリオや結核など伝染病も少なくなった。ところが、身体の病気がなくなるのと逆比例して、アトビーとかぜんそくとか心身症といった、心身の機能失調からくる子供の病気や異常が増えてきたんです。当初、これらの病気は原因がよくわからなかったのですが、多数の症例に接するうちにわかってきたのが、これら一連の症状は、高度成長に伴い世の中が急激に文明化・都市化して、子供の育つ環境が自然さをなくしたことが間接的な原因であり、より直接的な原因としては、母親の育児本能が狂ってしまって、間違った育児をしているために、子供の心身のたくましさが失われた結果だということでした。
つまり、高度成長に伴って急激に豊かになったことが、母親の育児崩壊をもたらし母親の育児のやり方が原因で起こる子供の病気や異常が増えた。そのことに警鐘を鳴らす意味で書いたのが、1979年に出版された『母原病』なんです。私はこの本の中で、「このままでは、日本は文明国型育児崩壊がますますユスカレートし、世界一子育てが難しい国になる」と予測したのですが、残念ながら、事態はまさにそのようになってしまいました。
日本の政治家だとか行政だとか経済人が、経済の成長に伴う育児崩壊、人間崩壊ということを知っていて、人間性を壊さないような政治なり行政に努力しながら、バランスのとれた豊かさを追求すれば、日本はこんな国にはならなかったはずなんです。
■尊敬すべき大人のいない子供の悲劇
昔の日本は生物としての健全性を維持していた国なんですよ。ところが、経済が成長してきたら、生物としての健全性を失った。私は、文明国は二次的に生物としての健全性を失う杜会だと考えています。豊かな杜会になると、構造的に子の育つ環境が壊れてきます。まず豊かになってくると大家族が壊れて核家族になることです。いまの日本は核家族はいいことだという。核家族のほうが土建屋さんが儲かって経済も強くなるから、日本の国は核家族化をどんどん勧めているわけです。でも、核家族というのは、生物としての人間にとってはよくないことなんです。
もともと人間は、ゴリラとかチンパンジーと同じ集団生活をする動物で、集団生活が動物としての健全さを維持するわけです。
それが核家族で生活するということは、猿でいえば、アフリカのジャングルにいるゴリラやチンバンジーを檻の中で飼うのと同じことなんですね。檻の中だから、近所づきあいもしないし、お祖父さんお祖母さんもいない。杜会知らずになるし、他人知らずになる。そのまま年だけとって、核家族という檻の中から大人の杜会へ行って、そこでみんなと仲よくしなさいといったって無理なんです。人の目は気になるし、どう接していいかもわからない。これが閉じこもり現象です。だから、核家族では子供は健全に育ちにくいのです。核家族という檻の中で住むことを自覚して、その中で核家族の弊害を防ぐためにはどうしたらいいかを考えるべきなんです。
教育の問題も大きい。教育には三つあって、一番奥のほうの脳を教育するのはいわゆる体育です。体育の次に、昔の言葉でいうと徳育がくる。徳育というのは人間としてしっかり育てる人間教育ですね。それから次に知育、つまり頭をよくする教育をするわけです。昔の人たちは、知育よりも人間教育を重視した。いくら知識教育をやっても人間性は立派にならないからです。だから、昔は教育はなくても立派な人がたくさんいたんですね。村の長老だとか駐在のおまわりさんだとか。子供からみたら、親も立派だし、学校の先生も政治家もみんな立派だった。だから、大人が尊敬されたわけです。
ところが、体育と人間教育をしっかりやらないで、知識偏重教育をやると、人間としてはダメで頭でっかちの人が世の中の指導者になるんです。いまの日本はそういう人たちが指導者になっている。政治家も役人も学校の先生もそうです。そういう人たちは、頭はよくても人間として立派というわけではないので、時々変なことをする。
いまも官僚の汚職とか企業の幹部の不祥事などが、毎日のように報じられていますね。
子供からすると全然尊敬できない。こういうのを指導者の崩壊症侯群というんですが、子供からみると、親たちも指導者で、その親たちもダメなんです。つまり、子供にとっては、人生の先輩として見習うべき大人がいなくなってしまった。これでは子供がおかしくなるのも当たり前です。
それから、昔は、子供が人間として成熟するための遊びが全部生活の中に入っていたんです。ままごとにしろお手伝いにしろ、大人になってから夫婦になったり働いたりするための練習で、みんな人間として成熟するためのものだった。ところが、豊かになると、子供を健全に育てるという遊びが価値のないものになってしまって、そうじゃない遊びに子供が引かれてしまうんです。悪貨が良貨を駆逐するという経済の法則と同じで、悪い遊びが出てくるといい遊びが追放されてしまう。そういう悪い遊びのことを、私は「悪魔の遊び」と呼んでいるんですが、悪魔の遊びが多くなったんですよ。
例えば、昔ならままごとや隠れんぼをやって友達と遊んでいたのが、テレビが出始めたころから子供は外で遊ばなくなって、テレビが子守りになった。その次にテレビゲームが子守りをするようになって、子供はそれにのめり込んでしまう。物心がつくころから悪魔の遊びが入り込んでしまう。
テレビゲームといったら、やっつける、殺すというものが多い。情緒を養わなきゃならない3歳のころから、日本の子供たちは残忍性を身に付けながら育っているわけです。
マンガや劇画も過激なものが多いし、中学か高校ぐらいになって、アダルトビデオだとかホラービデオにのめり込んでしまうと、神戸の少年のようになってしまうわけです。いまは悪魔の遊びのほうへのめり込んで育っている子供がとても多くて、そういう子供たちは必ず親子関係が希薄になっている。親が人生の先輩ではなくて、悪魔の遊びが人生の先輩になっているために、防ぎようがないかたちで子供たちが壊されていっているわけです。
■「三つ子の魂百まで」は本当だ
人間というのは脳がつくられながら育つ動物なんですよ。人間を育てるということは脳を育てるということで、0歳から6歳までで3番目までの脳がつくられて、ここで人間の基礎ができる。
1番奥の脳 A が、心臓が動くとか自立神経の調子をつかさどる反射調節の脳です。それから2播目Bが本能的な脳の働きで、3番目 C が躾だとか育児、家庭教育、社会教育といった人間形成の脳です。ここまでが人間の基礎で、建物でいえば土台なんです。そして、6歳から10歳、15歳までというのは・大人の基礎 D をつくるいわば本建築の時期で、本建築が完成するのがだいたい15歳です。まさに昔でいう元服で、男の子なら声変わりする。女の子は月経もちゃんとここまでに現れて、動物としてはここで大人なんです。
ところが、歪んだ育てられ方をして、人間の基礎をつくる6歳までに心身ともにたくましく育てられていないと、土台ができていないので、本建築が完成するころに、本建築の重みに耐え兼ねて、10年前につくった第三の脳が壊れてくるんです。第三の脳は人間性の脳ですから、その脳が壊れた結果が15歳前後とか、さらには成人後にも、いろいろな人間形成障害として出てくるわけです。昔から「三つ子の魂百まで」という言葉があるように、三つ子の心と身体をダメに育てると、その結果がずっと尾を引くわけです。具体的にどういう現象が現れるかというと、歪んだ育てられ方をすると、赤ちゃんのころにまず言葉遅れが出てきます。昔は大家族だったので、赤ちゃんは生まれたその日から、周りには祖父母も両親も兄弟もいて・極端にいえば、言葉の渦の中で育ったわけです。だから、ちゃんと言葉を喋るようになった。ところがいまは核家族で、お父さんが働きにいってしまうと、お母さんと子供だけになってしまう。ほとんど言葉のない世界で生活するわけです。そうなると、人間は言葉を喋るものだという人生の最も基本のところの体験がないので、どうしても言葉が遅れるわけです。
3歳ごろまでに、自律神経の調子が狂った子に育つと、自家中毒だとかアトビーだとかぜんそくといった病気になる。ぜんそくもアトビーも体質病ですから、いくつかの原因が重なって出てくるんですが、その一番基になるのが自律神経の働きが悪いこととホルモンの働きが悪いことなんです。
その他、夜尿症とか心身症といった症状も出ます。
ハーローという学者の猿の実験があるんですが、子猿のときに愛情のない育てられ方、杜会性のない育てられ方をされると、その子猿は青年期になったときに、落ちつきなく動き回るか、無気力に座り込んだりしてしまうという結果が出ているんです。落ちつきなく動き回るというのは、人間でいえば、暴走族だとか非行化になる。無気力に座り込むというのは、登校拒否とか閉じこもりです。さらに、その猿が大人になったときに、雄猿はセツクスの仕方も異常になってくる。雌猿は子供は生むけれども、子供の抱き方も知らないから抱かない。産みっぱなしになる。つまり、子育てができなくなるわけです。
猿の実験と同じことが日本ではこの30年間に顕著に現れていて、人間の基礎や大人の基礎ができないまま子供たちが成長すると、成人して社会に出ていっても、転々と職を変わって結局働けない。働くことはできても、結婚できないとか、結婚はできるけれども、子育てができないということになるわけです。
この子育てができないというのは、加速度的にひどくなっています。子供に対してガミガミいう、殴るというのは日常茶飯事で、中には虐待する、それから殺してしまうという場合もある。そういう親に対して、これらは全部積極的な敵意であるという話をしましても、殴らなければ自分の気が済まないという親もいますね。自分の精神衛生のために子供を殴っている親がいっぱいいるのです。文明国になると、未熟な親が増えるんです。
それがある時点で親子の力関係が逆転したときに、今度は親が子供に逆襲されるわけです。子供のころにガミガミいわれて育っている子供は、親子関係というのはお互いに攻撃し合うことだということを覚えて、10歳過ぎになって親よりも力が強くなってくると、そのしっぺ返しをする。それが家庭内暴力です。家庭内暴力のパターンはいろいろで、お父さんには暴力を振るわないで、弱いお母さんに暴力を振るう。それがさらにひどくなると、父親にも振るうようになるとか、ものを壊すとかになる。
こうみてくるとわかるように、3歳から6歳までの育て方が非常に大事なんです。「三つ子の魂百まで」という言葉は、子供の三つ子の魂が大事だということだけではなくて、お母さんが成熟した親になる準備段階が3歳あるいは6歳までという意味なんですよ。ですから、6歳までに子供をしっかり育てて、前向きで生き生きした親子関係を築くことが大事です。そうすれば、子供は健全に育って、非行や暴力などの問題行動に走ったり、杜会適応障害を起こすという可能性は非常に少なくなる。つまり、6歳までに子供を上手に育てれば、いまの日本にいっぱいある育児の落とし穴に落ち込まないで、無事に通りすぎていける健全な親子になれるわけです。
そのためには、なんといっても、お母さんの役割が重要なんですね。愛情をもってしっかり育てなければならない。しっかりというのは、動物として正常な育児ということです。育児本能が正常な場合には、子育てが楽しいはずなんです。なぜなら、子育てというのは、食欲や性欲と同じで本能だからです。本能というのはもともと楽しいはずのもので、昔の親は子供に手をかけることが楽しかったんです。生きがいでもあった。だから、できの悪い子や手のかかる子ほどかわいいと。
成熟した親の特徴は本能的直感で、子供の実情に合わせて子育てできるということです。一つはほめて、おだてて、やる気にさせる。もう一つは荒々しく、生き生き、楽しい気持ちにする。それからあとは最小限度のけじめを教えることです。ダメなことはダメという。こういう育て方をしますと、子供が親に愛されているという気持ちを持つので、いい親子関係が築けるわけです。
ところが、経済が豊かになると、親がダメになるという落とし穴があるんですね。
なぜかというと、豊かになると機械とか道具が発達して、炊事も洗濯も便利になる。
そこで人間はつい愚かな判断をしてしまって、人間関係も便利になったほうがいいと思うわけです。人間関係なんて絶対便利になりません。ところが、母親は便利な育児がいいし、手がかからない子供がいいと。
そうなると、このお母さんは子育てに手がかかるのが嫌だと思う。もっというなら、いないほうがいいということです。
これを子供に対する消極的敵意というんですが、ここが運命の分かれ道なんです。
子供を育てるのが嫌だと思っていると、未熟な親のままで、どうしていいかわからなくなる。親がそうなると、他の動物の場合は、自然淘汰で子供がみんな死んじゃうんです。だけど、幸か不幸か人間だけは死なないんですよ。知能が発達しているために知能でカバーするからです。それを知的育児というんですが、知的育児なんて頼りになりません。セックス不能症の人がいくら頭を使ってもセックスできないのと同じことです。
結局はどう育てていいかわからないので、ガミガミいう、殴る、蹴飛ばす、殺すといった積極的な敵意が出てくる。積極的な敵意をもって子供を育てますと、子供からみたら決していい親じゃないので、親子の関係は変になる。子供は親に愛されていないんだと思う。そんな親が叱ったりすると、やっぱり親は自分が嫌いだから叱ったんだとかいうかたちで、親子の間にさらに溝ができてしまうわけです。そうなると、子供は親のいうことを聞きません。なにかいうと、親を憎むようにさえなってしまう。そこで事ごとに反抗したり、問題行動に走っ たりしてしまうわけです。
子供というのは、反抗したり問題行動をしていても、実は、普通になりたいという気持ちが心の底にあるんですよ。その気持ちを大事にして導いていけば、子供のほうはかなり立ち直るんですが、問題はむしろ親のほうなんです。「指導しがたい親」という言葉があるんですが、子供はまだ治せるけれども、大人のほうを指導しようとすると非常にむずかしい。なぜかというと、間違った子育てをした歴史がもう15年もあるので、それが脳にしみ込んでしまっている。だから、他人から話を聞いて自分で治そうと努力しても、なかなか治せないわけです。さらにいうと、愛情が少ない親が多くなったので、昔のように、命を懸けてもこの子を救うために努力しようということが少なくなって、「そんなに親が努力しなきゃならないんだったら、もう子供は諦めます」と、子供を見捨てる親が多くなった。
だから、問題のある子供が増えたともいえるんです。
■環境と人間との関連を考える第三の医学
いま問題の子供のことばかり騒がれていますが、問題の子供が出る前に、実は問題の大人が出たんです。昭和30年から経済の高度成長が始まって、一番最初に壊されたのが大人なんです。そのころから、大人たちが経済成長ばかりに狂奔して、人間性を忘れてしまった。価値観の多様化時代といって、核家族になり少子化が始まった。
家族愛も少なくなり、近所づきあいもしないというかたちで、大人たちが壊れてきたわけです。そういう大人たちが子供を生んで育ててきた。それが成り金一代目の文明国型の崩壊した親ということです。
そして、昭和30年ごろに生まれた人たちが40歳ぐらいになっていて、その子供たちがいま問題を起こしている。子供が問題になったときだけ騒いでいますが、「先に大人ありき」で、本当は、そういう国をつくった大人の責任がまず問われるべきなんです。大人が正常になりさえすれば、子供は絶対正常になるんですよ。
どうすればいいかというと、まず問題の大人たちがこれまでの発想を変えることです。これまでは、豊かさだけを追い求めて、男たちは企業戦士になり、世界からエコノミックアニマルといわれながら、金儲けばかりに狂奔してしまった。その結果、日本の大人たちは、人間とはなにかという人間性の基本を見失ってしまっている。そういう壊れた発想をやめて、人間とはなにかということをもう一回問い直すべきです。
そうすれば、政治家でも経済人でも、それぞれの立場でやるべきことがおのずからわかると思う。親にしても、企業戦士でいるだけじゃなくて、やっばり6歳までにしっかりした子供を育てようとすればいいし、学校の先生も、文部省のスケジュールに従って知識偏重教育をやるだけじゃなくて、現場でもっと責任をもって人間教育をする。
要するに、政治、経済から家庭、学校の在り方まで、構造的に変えるということです。
親の問題でいうと、一番大切なのはとにかく子供を自立させることです。人間というのは非常に自立の難しい動物なんです。
例えば、亀の子供は自立能力があって、卵からかえったその日から自分で海に行くし、餌だって自分でとる。牛や馬も餌さえ与えておけば自立能力が育つ。これを飼育というわけです。だけど、人間はそうはいかない。人間の子供というのは、依存して生きていく動物なんですよ。依存する一番の中心が母親であり、あるいは父親や家族なわけです。3歳くらいまではしっかりかわいがって親に依存させてもいいけれども、そのままでは自立できなくなるので、少しずつ自立する脳の訓練をしなければならない。
ところが、いまの日本には、餌を食べさせて大きくさえすれば、ほっといてもまともな子供になると思っている親がたくさんいるんです。飼育と育児はまるで違うもので、これは絶対に区別しなければならない。
飼育のようなかたちで生かしておいたって、子供はまともな人間にはなれないということです。
子供を自立させるには、3歳くらいからお手伝いをさせて、そのときにほめたりおだてたりする。そうすると、ほめられることがうれしくて、嫌なことでも努力するようになる。小学校に入ってから勉強が嫌でも、お母さんにほめてもらいたくて、勉強する子になるし、嫌でも頑張る。嫌でも頑張るということをやっていると、学校も休まないし、登校拒否にもならないわけです。
自立する、嫌でも努力するという訓練は、小学校に入ったときから始めて、15歳になったら相当自立していて、大人の仲間入りができるようにしなければならない。自立心の強い子供になれば、杜会へ出てからもしっかり自立できる。ところが、嫌なことはしなくてもいいというかたちのままで成長していくと、大人になっても、働くことが嫌だからすぐやめてしまって、職を転々と変わることになるし、結婚しても、結婚生活がいやだからすぐ離婚ということになってしまうわけです。
それから、当面の問題としては、いま15歳前後で問題のある子供たちの中には、親ではもう手も足も出ないという場合もありますから、親がわりの制度をつくって、そこでしっかり育て直して家庭へ帰すというような制度を考えるべきだと思います。
文明の先進国である欧米では、親子関係がすでに壊れており、親が子供を育てることができない場合には、杜会が子供に責任を持つべきだという考え方があって、里親制度とか養子制度がきちんとできている。ところが、日本ではあくまでも親の責任という考えが強いので、親ではどうにもならなくなっても、どこにも救ってくれるところがない。そのために、親子がともに長々と苦しむことになってしまうわけです。ですから、親がだめなら、親がわりの人が育てる制度も必要です。
私のクリニックでは、そういう子供を親から離して、医療スタッフが親がわりになって、半年から数年かけて子供の自立を促すための「親がわり療法」をやったことがあるんです。働かない子供だとか、高校を中退した子供などがいて、親ではどうにもならないし、家庭にこのまま置いておけば、親も苦しむし子供もダメになるということで、70人くらい預かったんですが、8割の子供は立ち直っています。そういう親がわり制度がもっと社会的に広がっていけば、子供たちも親ももっと救われるようになると思います。
いずれにしても、いまの状態がこのまま続くと、日本は人的な面で間違いなく滅びていきます。それを防ぐには、早く手を打つ必要がありますが、いま一番問題なのは、なぜ子供たちがおかしくなっているのかという原因が、多くの人にはよくわかっていないということなんです。文部省も政治家も、なぜ子供たちがおかしくなったのかと首を傾げている。非常に理解しがたい現象とみているわけです。しかし、人間形成医学からすると実に簡単に理解できるんです。
いままでは医学というと、99パーセントは身体の医学で、心とか環境の医学はなかったんですね。身体の医学を第一の医学とすると、心と身体を一体にした心身医学が第二の医学で、この心身医学が心療内科として病院の診療科目に認められたのは、つい一昨年のことです。そして第三のまったく新しい医学が、環境と人間との関連を考える人間形成医学なんです。その環境には経済や文化も合まれていて、経済が成長するとどうして育児崩壊が起こるのか、どんな育て方をすると登校拒否になるのかということを考える。いわば「病める文明の医学」といってもいい。この病める文明の医学を理解しないかぎり、いま日本の杜会で起きている子供の心の崩壊の問題は解決ができないと、私は思うんです。