ぜんそくジャーナル

 

153号ジャーナル

アトピー性疾患その特徴と根治療法

 

「ぜんそく根治の喜びを語る会」のあゆみ

話は10年以上も前に遡ります。久徳クリニック開院後5~6年が経過したころの話です。
この頃には、クリニックを受診するまでは「老人になってからの喘息は治らない」などと言われていた高齢の患者さんの中かからも、ほぼ喘息は完治し、すっかり健康になってしまわれる方が増えてきました。
これらの患者さんの中から、60才以上の方を対象に、年に1~2回集って、お互いの健康を祝い、体験等を語りあって、再発防止に役立てると供に、「老人喘息も治すことができる」という啓蒙と闘病中の患者さん達に希望を与えるための会を発足させようとの声が上がりました。そして昭和60年1月に『熟年喘息征服の会』が発足しました。
 
この会が、現在の根治の会の発祥になります。
第1回目の総会は、昭和62年10月18日に、名古屋城近くの三の丸会館で、17名の方が参加して開催されました。詳しい内容は、ジャーナル67号に掲載されています。
平成元年には、会の基本的な運営方針も発表され、世話人の方々も決まり、患者さん自身による常設の会として運営されています。
当初は、アフターケアに入った患者さんたちの会でしたが、治療中の患者さんたちからも、「治った人たちの話を聞きたい」との声があがり、現在では、「根治した人、根治をめざす人」の再発防止と勉強の会として運営されています。
根治の会の基本的な運営方針は次の通りです。
 

■「ぜんそく根治の喜びを語る会」について

当会は強い発作を伴う気管支喘息を、新しく開発された総合根本療法により全治したり極めて軽くしたもので構成しています。
会員数は昭和62年の発足当時は17名でしたが、平成7年には300名を越えています。平成元年からは世話人を置き、常設の会として自主的に活動しています。
会の活動として、主にお互いの全治に向けた努力体験の情報交換を行っていますが、その目的は、同病相哀れみ慰め合うことではなく、次のような前向きのものです。


1、喘息を全治させた者でも、健全な生活習慣と明るい人生観を保たなければ、再発する危険があります。全治を一層確実な物にするために、他の人の努力や考え方を聞き、ともすれば油断がちな自らへの教訓とします。

2、同様に、症状が軽くなってもなかなか全治までいけない人にとっては、全治した人の体験は、貴重で有益なお手本とする事ができます。
 
3、喘息は身体医学的な治療によってある程度は発作を押さえることは出来ますが、単なる呼吸器疾患ではないため、根本原因に対して手を打たない限り発作を繰り返すことになります。その状況から、「喘息は治らない」というのが世間一般の通説になっています。喘息を全治した私たちは、同じ病気に苦しみ、治らないと諦め、そして人生に絶望する多くの患者の人たちに、この会の活動を通して「気管支喘息は治る」ことを知らせたいと存じます。


 
会の開催実績は図下の如くですが(省略)、世話人の方々の意気込みが伝わってくるような、意欲的な内容のものになっています。
第4回総会では、全会員にアンケートを実施し、発病時期と現在の症状、喘息の型、たんれんは何をしているか等、患者さんのみならず、医師の参考にもなるようなしっかりとしたデータが発表されています。
第6回総会では、患者さん43名の闘病手記の文集『四三人の勝利の記録』が発行されました。この文集は、世話人の方の意向もあり、寄せられた原稿をそのままコピーして製本するという編集方法で発行されています。文字通り「生の声」が掲載されているのです。
 
わが国でも例を見ない、患者さんの、患者さんによる、患者さんのための文集と言えるでしょう。
第7回総会では、「原因と対策・男性の場合、女性の場合」をテーマにした討論会が行われ、第8回総会では久徳重盛先生の講演会「根本療法と再発予防」が開催されました。
第9回総会では、「予後の経過が今ひとつ?」というテーマで、アンケート調査が実施され107名の会員の方から解答がよせられています(141号)。
 
この過去11年間の開催実績をごらんになれば、根治の会がいかに前向きで意欲的な会かおわかりになると思います。
現在、国内もいくつかの喘息の患者さんの会はありますが、ほとんどの会は、「喘息を治すことはあきらめて、一生仲よく付合おう」という主旨の「同病相哀れむ」会のようです。
この「ぜんそく根治の喜びを語る会」ほど、明るく希望にみちた会は、日本でも例を見ません。今後の益々の御発展を念願しております。