ぜんそくジャーナル
170号ジャーナル
お便り紹介 /手記 東京都 Nさん
昨年10月に、兄弟揃って喘息と診断され1年を迎えます。現在、兄6才、弟3才になり弟は3回入院をくり返し重せき発作で生きるか死ぬか、助かっても脳に異常がでるかのぎりぎりの線を越えて来ました。
100人に2人の重症と言われ東京の病院ではどこでも「喘息は治らない。コントロールをして発作を防ぐしか出来ない」と言われ続けていたところ、偶然久徳先生の本にめぐり会い、「治る」にひかれてすがる気持ちで名古屋に向かいました。
院長先生の診察で心と体を鍛えることが全く出来ていなかったと納得しそのまま学習入院することになりました。
今まではアレルギーが原因とのことで布団もシーツも毎日洗濯し1日6時間の掃除で公園へいくひまもなく、全ての動物と動物園も禁止、花粉があるからハイキングも禁止、運動性だから駆けたり大笑いも禁止、風邪が原因だから厚着にしてちょっとのせき鼻水でも病院へとの指導を守って来た結果が喘息の重症化をまねいたのです。
入院中走っても大笑いしても大丈夫、せきも皆と夢中になっているうちに止まってしまい、今までコンとせき1つでるだけで私が神経性胃炎で胃が痛くなったのがうそのようでした。
鶏小屋と院内の掃除も自分たちでするのに、せき1つ出ずびっくりしました。あれ程ホコリを吸わせないようにと言われて来たのに、公園より掃除を優先に日々努力して来た結果が、走ってもころんだ時に手が前に出ず、砂場で砂にさわれず、すべり台ものぼらず、すべることも怖がる我が子に何と神経質に育ててしまったのかと改めて気づかされ目の前がまっ暗になりました。
日一日と慣らしていく中、弟の順応性にくらべ兄は倍時間がかかり心はあせれど思うようにいかず先生方のアドバイスと看護婦さんのやさしさに救われ、あっという間の1ヶ月でした。
アレルギー検査もきめ細かく、しかも数値が激減し残るホコリとダニも減感作の注射を高田馬場のオポクリニックで引続いていけばよいことになり、数値が高すぎて絶対一生食べるなと言われたおそばも食べてよくなりソバ枕で眠り、動物園は4回行って小動物を1種類ずつさわってチェックし、羊毛、羽毛、絹はデパートの布団売場で試し、心から安心できました。1週間の試験外泊をへて丸1ヶ月で退院しました。子供が病気がちだと夫婦間もゆとりがなくなり家庭も暗く思いやりより相手をせめる気持ちがつもり、つい心がすれ違ってしまいやすくなっていたのを、良く話し合うことで夫婦の協力体制を建て直すことから始めて父は男らしく強くたくましく、母は女らしく、やさしくを目標に家族全員で鍛練にはげみ、反省会も子供が率先して病院に通い続けており、良い習慣になりつつあります。
11月はじめに兄が感染症の発作をおこしたのをソリタとぜん散と強打排痰法で病院へいかずに乗り切り自信をつけたのですが、次に弟にうつった感染をこじらせてしまい、いろいろやったにもかかわらず入院となりがっかりしましたが、知裕先生に感染は仕方ない、良い勉強と思って又頑張ってと言われ、よし又一から頑張ろうと思い直し、いつもなら2週間かかる入院も6日で退院できたのも成果の現れと思いました。
鍛練もエレベーターホールや非常階段を活用し、公園の遊具をうまく利用したり、布団をマットに食卓をスベリ台にと知恵をしぼり家でも外でも大あばれできる環境を自分から作っていけるようになりました。
来年入園入学をひかえ少しずつたくましくなっていく手ごたえを感じつつ、逆に今喘息になって良かったじゃないか、これは人間としての危険信号だったんだ、今なら充分やり直しがきく。15才までに軌道修正していこう、あせらずたゆまず一歩ずつ着実に前進していこうと思います。
小さすぎて腹式呼吸と押出し排痰法をマスターできなかったのがネックで今後も入院となることもあろうかと思いますが、くじけず嫌なことでも頑張るをモットーに親子揃って成長していきたいです。手伝いの出来る親孝行な子をめざして立派な大人に育てていこうと思います。
本当に入院中は良き入院メンバーに恵まれ和気愛々の中可愛がって頂き、皆で行った名古屋まつりの楽しさを想い出に私にとっても、子供にとっても有意義な1ヶ月の入院生活を送ることが出来ました。
諸先生方、看護婦さん、事務の方等多くの方のあたたかい心に守られ助けて頂いた貴重な日々をありがとうございました。心より御礼申し上げます。