ぜんそくジャーナル

 

105号ジャーナル

あんな症例こんな症例

 
■アレルギー性鼻炎

Sさんは25才の男性です。子供のころから病気らしい病気はなく、中学~大学までは、陸上部に在籍していたスポーツマンです。鼻炎などとはまったく無縁な生活を送ってみえましたが、就職して1年目にひどい鼻炎になってしまいました。

就職して1年たった4月に、Sさんは、上司をさそって海釣りに出かけました。もともと釣りも好きだったSさんは、毎年4月ごろに、船宿で船を仕立てての海釣りをたのしんでいたのですが、入社した会社の上司の人も釣りが好きな人でしたのでSさんが誘って2人で出かけたのです。上司を誘ったということで、Sさんはすこし緊張しました。

船宿にも数回電話を入れて、よく釣れている時期をえらんで出かけました。夜中の3時ごろ名古屋を出て片道3時間ほどかけて船宿まで行きます。その車の中でSさんは、船宿の主人から仕入れた情報を上司の人に伝えます。その情報によれば、「とにかくよく釣れているから大きなクーラーをもってらっしゃいよ」という景気のいいものでした。

ところが、いざ出漁してみると、前日までの船宿の主人の景気のいい話はどこへやら、SさんもSさんの上司も、まったく一匹も魚が釣れなかったのです。

朝の6時から昼まで釣りをして、がっくり気落ちして港にもどり、食事をすませて帰路につきましたが、その帰りの車の中で、強烈な鼻炎がSさんをおそったのです。

強いくしゃみと水鼻がとどめもなく続き、何をやっても止ま
ません。水鼻がポタポタとズボンの上に落ちるので、Sさんはティッシュペーパーを両方の鼻につっこんで車を運転したそうです。上司の人も「君いったいどうしたんだい?」と心配するほどのものだったようです。

その日から、Sさんは毎日のように鼻炎に苦しめられるようになりました。釣りに出かける前の日までは、まったく鼻炎などとは無縁のSさんでしたが、釣りに行った日からしばらくの間は、1日にティッシュペーパーを2箱も必要とするような鼻炎が続き、夏になってからはやや軽くなりましたが、軽い鼻閉と鼻汁は残りました。そしてその後も毎年2月~5月ごろにかけて、症状は悪化しました。

鼻炎になって2年経過した時点でSさんは久徳クリニックに来院されました。症状のおこり方からは典型的なアレルギー性鼻炎です。検査の結果も、血液中の好酸球も、IgEも高く、鼻汁の好酸球も陽性であり、ラスト法で、スギ花粉のアレルギーが強陽性という典型的なものでした。

さっそく、会報65号に載っている通りの薬物療法(体質改善とインタール)と減感作を開始しました。アレルギーがしっかりあるからには、これは絶対に必要な治療です。しかし、これだけでは十分とはいえないのです。

Sさんの鼻炎が出現した原因は、スギの花粉だけではありません。鼻炎が出現するまでの20数年間、毎年のようにスギの花粉にふれていたはずですが、それまでは、まったく無症状だったのですから、「スギの花粉が悪いんだ」といわれても、Sさん自身も、「じゃあなぜ、25才まで平気だったのだろう」と思われるにきまっています。

Sさんの鼻炎が出現した背景には、①就職して、運動量が激減したこと、②上司の接待のつもりで出かけた釣りがまったく期待はずれで、がっくり来たこと、の2点が、体と心の問題として存在しているのです。

これらの問題、特に②のような「心理的なおちこみ」とか、「ゆるみ」は、成人になってから出現した鼻炎においては、発症のきっかけとして、ほとんどの患者さんに認められます。

Sさんにも、この2点を改善することが治療上極めて重要であることを説明しました。Sさんはよく理解して下さって、アレルギーの治療と平行して、冷水浴、ジョギング、薄着などの体のトレーニングに加えて、いつも生き生き、のびのびと暮らすよう、気持ちの整理をつけるトレーニングも実行されました。

治療は3年ほど続けましたが、来院された翌年の春は、病状はそれまでの10分の1ぐらいまで軽くなりました。2年目と3年目の春は、ほとんど無症状に経過したため、血液検査ではスギのアレルギーはまだ強陽性でしたが、薬はすべて中止しました。

その後は、スギのアレルギーが(検査上は)強陽性であるにもかかわらず、スギのシーズンになっても、まったく鼻炎は出現していません。