ぜんそくジャーナル

 

118号ジャーナル

【参加体験談】名古屋市Mさん 


私、このマイクロホンと申しますのでしょうか?これをつくづくそばで見るのははじめてでございました、まあテレビでは見ますけれども、今つくづくそばで見て、「あーこういうものか…」と思っているようなわけで、とても人様の前で話すのは、やったことがございませんので、こういう席でお話しするのは尻ごみしておりました。
 
でも先生が、「前のあなたのように苦しんでみえる方が大勢みえるから、あなたがどうやって治したか皆さんに教えてあげて下さい。」とおっしゃるものですから、それじゃあと思いまして今日、勇気を出してここへやってまいりました。
私がぜんそくになりましたのは55才のときです。若いころはとても元気ですごしておりましたが、55才のころからおかしくなりましてお正月の一日には必ず発作が出るんですね。それで御近所の先生のところへ行きますと、「ああ、今年もあなたが一番かね…」といわれておりました。年中行事のようにこんなことをくりかえしておりまして、「年とってからかかったぜんそくは治りませんよ」といわれましたから、「ああ、しょうがないなあ…」と思ってくらしておりました。
そして、昭和61年でございまして。あまりに苦しいのがつづきまして、子供が「おかあさん、久徳先生という専門の先生がいらっしゃるって聞いたから、一度行ったらどう?」といってくれましたので、半信半疑でしたが行ってまいりました。そうしましたら、はじめての診察のときに「喘息は治るんですよ!」と言われまして、それはまあびっくりいたしました。そして、家に帰って家族にそのことを話しましたら、「ふーん、今は治るようになったのかなあ…」と皆も半信半疑でした。
 
 
私はそれまであまりに苦しい目ばかりにあっておりましたし、発作がおこると、苦しくって、苦しくって、息がどうなっているんだか、吸おうと思っても吸えないし・吐こうと思っても吐けないただもう苦しくて、「こんなに苦しむんだったら死んだほうがましだと思っておりました。でも家族や子供がおりましたので、迷惑をかけずに死ぬにはどうしたらいいのだろうと、死ぬ方法を毎日のように考えておりました。私は、四国の生まれだものですから、里に帰りますおりに連絡船にのります。「この連絡船からとびこめば金ヅチだから死体も上がらないだろう」と、本当にそう考えておりまして、「今度帰るときは死のうか、とびこもうか」と考えるのですが、勇気がないものですからとびこまずにすんでおりました。薬も、いいといわれるものを何種類ものんだりして、自分でも何をやっているのかわからないような状態になっておりました。
 
でも、はじめて久徳クリニックに行った時に、久徳先生が、「喘息は治るよ」と言って下さったものですから、「それじゃあ、もう、今までこんなに苦しんだのだから、とにかく先生のおっしゃるようにやろう」と心に決めまして、主人も協力してくれたものですから、散歩にも出かけました。冷水浴はやはり大変で、はじめのうちはお湯を入れたりしてこそこそとやっておりまして、先生に「冷水浴してますか?」と聞かれますと「はははは…」と小さくなっているような次第でした。たくさんのんでおりましたおくすりはやめて先生のところでいただくあのよく効く「喘散」とテオナやなんやらのおくすりをいただいておりましたが、それでもやはり苦しくはなりました。
 
苦しくなるのも昼間ならよいのですが、夜苦しくなるんですよねえ…。うちは老夫婦だけで車がないものですから、タクシーをたのみまして、点滴をしにうかがうのですが、なんだか情けなくなってしまって涙ぐんでしまうこともよくありました。看護婦さんに「なにを落ち込んでるのよ、だめじゃない!しっかりがんばらなくちゃ!」と叱られたり、励まされたり、なぐさめられたりして夜が明けて、明るくなってから帰るということもたびたびでした。腹式呼吸と排痰も、先生が横につきっきりで教えて下さったのですが、正直なところはじめのうちはどうやればよいのか分からず、どうしてもうまくやれませんで、「こんなに下手な人は100人に1人ぐらいだねえ…」と先生に冗談で言われたりもいたしました。先生のところにお世話になってからも、本当に苦しい発作も何回もありまして、「治るっていわれたけどほんとうかなあ…」と思うこともございました。それでもそうこうしておりますうちに、発作も軽くなってまいりまして、なんだか、まわりが明るくなってきたような気がしてまいりました。本当に今思うと、同じ名古屋に住んでいながら、どうしてもっと早く久徳先生のところへお世話にならなかったのかと残念でなりません。でも、今は、うかがって本当によかったなあと思っております。
 
私は、自宅におりますときはまだまだ調子もいいのですが、娘が3人おりまして、あちこちへ嫁いでおります。たまにそこへ行きますと必ず夜中に発作が起きるんです。子供を起こすのもかわいそうですので夜明けまで我慢して、明るくなってから医者に連れて行ってもらいますと、そこの先生に、「とにかく早く名古屋へ帰りなさい」といわれたり、また水戸の娘は「水戸にも病院はあるから、遊びに来て…」と言ってくれますが、もう、喘息が怖くて家から一歩も出られないんです。

そうしましたら、重和先生が、「そんなにしていたらどこへも行かれないから、星が丘のホテルにでも行って一泊してきたらどう?」なんて冗談でおっしゃってくださった。そのときはもう、だいぶん良くなっていたときでした。それで思いきって、主人と昨年、瀬戸の大橋へ思いきって出かけました。そして宿で、「出るかな…出るかな…」と思っておりましたが、出ずに帰って来れました!「わー、これはえらいこっちゃ!お赤飯を炊いて喜ばなくっちゃ!」とうれしくなりましてあちこち子供に電話をかけましたら、皆、「え!本当?」と喜んでくれました。それでうれしくなってしまいまして、今年の5月は天の橋立へ行ってきました。前から主人も行きたいと申しておりましたし、私も行ったことがございませんので行ってまいりました。
 
さかさまになって見ると景色がいいって聞いておりましたので、やってみましたら、本当にいいんですねえ。あーなるほどなあと思いまして、「こんなこともできるのも健康になったおかげだなあ…」としみじみうれしくなりました。それで、なんだかすごくうれしい気持ちになってしまいまして、主人に、この松林をずっと歩いて行きましょうよと言ったのですが、主人はしぶっておりました。それでも「船で行けば5分か10分ぐらいで、『あーきれいだなあ』で、すんでしまって、感激がないから、歩きましょうよ」と言いまして、私、本当に歩きました。天気はいいし、松林の中を歩いていますと撫村の句碑やいろいろございまして、松の落葉がびっしり敷きつめられている中に、クローバーの白い花などが咲いていまして、上を見たり下を見たりしてそれを踏みしめていく、そのうれしさ!「本当に生きていて良かったなあ…あのとき死んでいたら、これは味わえなかったわ」って、本当に感激しながら、歩いて帰ってきました。旅館の女中さんにそのことを申しましたら、「へーえ、あそこは3~7キロもあるんですよ」と教えてくださいまして、じゃあそんなに歩いたから今晩は(発作)がでるかな?と思いましたが、ぜんそくのぜの字も出ませんでした。喘散も、吸入用のくすりもいつも肌身はなさず持ち歩いているのですが、まったく使わないんです。
もう、感激ですねえ。「健康ってこんなにいいものなのかしら…」としみじみ思いました。ほんとうにこのうれしさはぜんそくを治してしまったときに味わえるうれしさでしょうねえ。いつかもスーパーへ行きましたら、見知らぬ方から、「あんた、このごろ久徳さんへ行かないけど、いいのかね?」って声をかけられまして、見おぼえのなかった方だったものですから、どちら様かたずねてみましたら、「わたしゃタクシーの運転手だがね!」って言われました。いつも電話をすると「はい!久徳さんね!」といって、とんできて下さった方だものですから、このごろぷっつりとお願いすることがなくなりましたので、案じていて下さったのでしょうか。「あんた本当に元気そうになったね」と言われたときは本当にうれしゅうございました。
 
今、つくづく思いますけれど、私も久徳先生のところへ通っております間にいろいろ目にいたしまして思いますことは、子供さんのせんぞくは治りますね。先生が言われる通りに明るく前向きになっていかれますと治っていきますね。でも私のように大人になってしまってからのぜんそくは、よくなられた方皆さんが言われますように、「心のひっかかり」というものが大きく作用しているようですね。私もそう思います。私の子供は娘3人でして、3人ともお嫁に行くんですね。3人ともお嫁に行ってしまったあとは、何か、とり残されたみたいで、主人と2人で食事をしてもおいしくないんですよね。そんな寂しさのようなものが、かかわっていたのかも知れませんね。
 
それで恥を忍びまして重和先生やら、カウンセラーの先生に相談しました。いろいろ見方を変えてアドバイスをされまして、重和先生からは「そりゃ御主人がかわいそうだ。あんた間違っている。末娘のことを抱え込むようなことはやめなさい。これから先は御主人と2人仲良く楽しく暮らすことを考えなさい」と言われました。そして、①三女のことでくよくよ考えるのはやめる②旅行にいけるぐらいぜんそくも良くなった③これからは主人と2人仲良く暮らす。この三ヶ条を毎日20回ずつノートに書くように言われました。「先生、毎日20回なんてそりゃ無理です」と言いましたところ、「じゃあ、10回でいい」と言われまして、こんなことやって、意味があるのかしらと思いましたけれど、まあ、暇でしたし、書けばいいだろうと思いまして毎日書きました。毎日、毎日書きまして、ノートもいっぱいになってしまいました。先生のところへ持ってきましてもパラパラと見られて、「うん、書いたね」と言われるだけです。「もっとしっかり見て下さい」といいたいんですが、そりゃ考えてみれば同じことが書いてあるだけですからねえ…。そんなことをしていますうちに、ばからしくなってきましてねえ。「もう、いいわ!」という気持ちになりました。で、そのときにふと考えてみますと、苦しくなることはなくなってしまいましたし、あれほど「死にたい」と考えていたことなど、すっかり忘れているんですねえ。そして、何と申しましょうか、毎日がありがたいんです。それで、これも久徳先生やら看護婦さんやらいろいろなかたが、しっかりなだめたりいろいろして下さったおかげだと、ただ感謝いたしております。
 
どうぞ皆様も、先生のおっしゃるように何もかも忘れて、なさったらいかがでしょうか。本当にそう思います。私はこれからは、楽しい人生を過ごしてみたいと思っています。明るい人生を御送り下さいませ。どうも、ありがとうございました。